【萩らしい…?!】
萩の名産品のひとつでもある夏みかんをデザインしたマンホールのふたで、萩の城下町に設置して
あります。ちなみに、マンホールのふたは落ちないようにという配慮から丸くなっていると以前テ
レビで見たことがあります。
【萩のまちでタイムスリップ…!】
毎年11月第2日曜日に行われる「萩時代まつり」のひとコマです。萩時代パレード・大名行列など、
今でも江戸時代の古地図を使うことができる萩のまちで、当時にタイムスリップしたような歴史絵巻
が展開されます。秋の萩にも、ぜひ、お出かけ下さいませ。ちなみにNHKの大河ドラマにもなった毛利
元就公に扮しているのは、萩市長です。
【2005年は元旦から珍事…!】
2005年の元旦、起床すると一面が銀世界になっていました。萩では1年の間に降る雪は数回、町中に住む
人はスノータイヤなども必要のないぐらいです。その数回のうちの1回が元旦に…!そして、その雪はそ
の冬の少し遅い初雪で、元旦から珍事が重なりました。雪国の皆様にとっては日常のことが、萩では珍事
となり思わずシャッターを押しました。ちなみに萩での元旦の降雪は19年ぶりということでした。
【大桂庵のそばに初代内閣総理大臣!】
1841年山口県光市(旧熊毛郡)で出生、9歳までを過ごし後に家族と共に萩に移住。
1854年父が伊藤家の養子になり伊藤姓を名乗る。
1857年松下村塾に入塾。
1859年安政の大獄により刑死した吉田松陰師の遺骸を同士と共に小塚原回向院に埋葬する。
1868年(明治1年)兵庫県知事になる。
1885年(明治18年)44歳2か月の若さで初代内閣総理大臣となり、その後、5代・7代・10代内閣総理大
臣などの要職を歴任、昭和38年にはお札の肖像画にもなる。
画像の陶像は青年期までを過ごしたわら葺き屋根の旧宅のそばに昭和5年に建立され、又、1907 (明
治40年)東京都品川区に建てられた別邸が平成13年に旧宅のとなりに移築されました。
農家の長男として生まれた利助少年がいろいろな人との出会いと時代背景の中で伊藤博文として偉大
な政治家となった背景には、吉田松陰先生からも「才劣り、学幼し。しかし、性質は素直で華美にな
びかず、僕すこぶる之を愛す」と評され、「俊輔、周旋(政治)の才あり」とされたように、誠実な
性格と幼少期よりその才覚があったからではないでしょうか。ちなみに陶像・旧宅・別邸は、すべて
大桂庵のすぐそばにあります。